第16回「手塚治虫文化賞」贈呈式レポート【その3】

最後に特別賞の贈呈――マンガそのものの面白さだけではない“功績”に贈られる本賞は、過去の受賞でも感動のドキュメントを我々に届けてくれた。しかし、第16回に選ばれた今作こそは、歴史に刻まれる一冊になるのではないだろうか。

特別賞を受賞した『あの少年ジャンプ』はマンガ作品のタイトルではなく、未だ鮮明に記憶されている東日本大震災の中で生まれた奇跡の一冊である。生みの親は仙台市塩川書店五橋店の店主、塩川祐一氏だ。壇上に姿を現わした塩川氏は、「お父さん」という表現がぴったりな優しげな男性(写真左)で、そのにじみ出る思いやりがこの一冊を生み出したのだと感じた。

賞状を手渡す朝日新聞社社長の秋山氏は、「東日本大震災直後、仙台市の塩川書店五橋店は譲られた一冊のジャンプを回し読みに提供。子供達に元気や勇気を与えた、マンガの持つ力に対して」と熱のこもった声で功績を読み上げた。

塩川氏はスピーチで、「光を失った町に少しでも明るい場所を提供したかった」と、震災3日後に店を開けた真相を語った。きっかけは「子供の笑顔を取り戻したい、絵本やマンガを見せてあげたい」という母親たちの切実な願いだったという。そんな時、流通が滞ってコミック誌が届かない中、ある男性が県外から買ってきた少年ジャンプを譲ってくれた。「これだ!」そう思ったという塩川氏は、「ジャンプ読めます。一冊だけあります」と張り紙をした。すると、何百人もの子供が押し寄せたのだ。その様子が報道され、「お待たせ!」、「がんばって!」と子供の字で書かれた本が毎日のように届くたび、涙が出るくらい感動したと塩川氏は声を震わせた。「子供たちが笑えば親が笑い、死んでいた町が生き返っていくのを感じた。たった一冊のマンガで町が蘇ったことを、私はこの目で見た。マンガの力が見れて、本当に嬉しい」と会場いっぱいに声を響かせる。

塩川氏は最後に「今日は本当に30年本屋をやってきて、一番嬉しい日」と、朗らかに笑った。

塩川氏と共に壇上に上がった、少年ジャンプ編集長の瓶子吉久氏(写真1枚目の右側)は「震災時、この時期にマンガを作っていていいものか、と悩んでいた。でも、塩川書店さんの話を聞いて、マンガを作ることに意味がある、作っていいんだという勇気を与えられた」と受賞の喜びを語った。物資不足が深刻であったあの頃、疑問や中傷と闘い、人々の笑顔を取り戻した編集者たちの努力は誰が何と言おうと賞に値する。

第16回『手塚治虫文化賞』贈呈式レポート【その4】に続く。

【関連URL】
・「手塚治虫文化賞」朝日新聞社インフォメーション
http://www.asahi.com/shimbun/award/tezuka/

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