将棋のルールは決して簡単なものではない。千日手(両者が同じ手を繰り返して勝負がつかない)や持将棋(両者の王将が相手陣地に入って勝負がつかない)など、一部に不安定な面もあるくらいだ。この意味ではオセロや囲碁には敵わないものがある。しかし漫画にするには、オセロや囲碁に増して魅力的な面がある。
それは局面の分かりやすさだ。
これは2009年に行われた竜王戦と呼ばれるプロ棋士の戦いの一番最後の局面(持ち駒省略)である。将棋のルールを少しでも知っていれば、先手(下から上へと攻め込む側)が勝ったことは分かるはず。また全く将棋を知らない人でも、駒が入り乱れていることで、緊迫する状況であるのは感じられると思う。
同様なことを囲碁で示そうとすると、なかなかに難しい。囲碁の局面をパッと見て優劣を判断するには、相応の棋力が必要になる。棋力の高い者同士の戦いであればある程、局面が微差になるだけに、一瞥した読者が判断するには難しくなる。
またアクロバティックな局面を作り出すことも難しくない。前回紹介した『月下の棋士』を読んだ人なら分かるはず。盤面の駒の配置で象を形作ったり、持ち駒を極端に増やしてみたりと、様々な局面を作り上げている。程ほどの難しさと程ほどの分かりやすさが同居していることで、将棋は今後も漫画の素材として格好の対象足りえるだろう。
【将棋漫画紹介】
『歩武の駒』(小学館/週刊少年サンデー連載、漫画:村川和宏、監修:深浦康市)
一言で言えばやや残念な作品。少年ジャンプ誌上にて『ヒカルの碁』がヒットしたことで、おそらく二匹目のドジョウを狙って開始したものと思われる。ただし狙いは悪くなかったものの、結局、ヒットには遠く及ばずに終わってしまった。
原因はいろいろあるだろうが、個人的には主人公に魅力が足りなかったことではないかと思う。少年漫画の主人公であれば、やはり格好よくあって欲しい。しかし主人公の雪村歩武には、なんだか抜けたところが強かったように感じた。
ラストシーンで名人になるのだが、「こいつが名人になったの?」と思ってしまった。また登場人物にも「名人なんだぞ」と言われている。『月下の棋士』でも、最後に主人公が名人になるが、こちらが「やっぱり名人になったんだな」と思わせられたのとは対照的だ。監修に苦労人と言われる深浦康市(プロ棋士)が関わっていたためか、将棋連盟や奨励会などの設定や、周囲を取り巻くキャラクターがしっかりしている。それだけに残念な作品。
『駒が舞う』(小学館/週刊少年サンデー連載、漫画:大島やすいち)
『歩武の駒』に先駆けること約30年、1972年に同じく少年サンデーに連載されていた。『親子刑事』『バツ&テリー』最近では『剣客商売』など、ベテランの漫画家、大島やすいちの初の長期連載作品とのこと。
基本的には少年漫画の王道を描いている漫画で、中学生の主人公が、将棋が原因のどん底から、将棋をきっかけに成長していく話。典型的な主人公の成長譚になっているが、将棋漫画と思って将棋ファンが読むと、物足りなく感じるかもしれない。これはいろいろなところで将棋が関わってくるものの、将棋に関しては表面的なところで終始しているため。その一方で、‘呪われた詰め将棋’なんてものが出てきたところでは、「なんだかなぁ」と思ってしまう。
ただし先に書いたとおり、少年漫画としては王道をしっかり描いてある。『歩武の駒』と比べれば、個人的にはこちらの方が好感度が高いくらいだ。古い作品ながら、現在もデジタルコミックで購読可能。これも大島やすいちのネームバリューだろうか。